通り庇/通し腕木
大坂や奈良の町家と違う京町家の特徴に通り庇があります。
亙が乗った重い下屋(庇)を半間(約1m)柱なしで通りに張り出すものです。
通り庇とは、柱無しの深い庇が両隣の家と続く事で、商店街アーケードのように雨に濡れずに通行人が通りを歩けるようにするものです。
亙の乗った重い通り庇を柱無しで支えるのが、京町家独特の通し腕木です。
腕木はひとみ梁に差し込まれているのに対して、通し腕木はひとみ梁の上に乗っています。
通し腕木が、饅頭ボルトを介して、腕木を吊り出桁を支え、重い通り庇を支えます。
通し腕木はどうやって、重い通り庇を支えることが出来るのでしょう?
その理由が、通し腕木の名前の由来です。
通し腕木は、ひとみ梁の上を通り越して二階の床を支えるささらと接しています。
つまり、ひとみ梁を支点に、ささらと饅頭ボルトでバランスを取る天秤になっています。
真横から見ると、通し腕木がひとみ梁の上を通っているのがよく分かります。
ひとみ梁の上を通る「通し腕木」で直接下屋を支えないのは、そうすると、下屋が高くなりすぎるからだそうです。
京の街は、幕末の禁門の変による「どんどん焼け」で殆ど焼け落ちてしまいました。つまり、京町家は、殆どが明治維新以降のものです。
江戸時代ではなく、明治以降に様式が確立したことによる特徴と思われるものが、幾つか京町家にはあります。
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