ひらかた京町家について

ひらかた京町家は、ひらパーのある枚方公園駅から徒歩三分。
枚方公園駅前郵便局を通り過ぎて、最初の小道を、左に入ってすぐです。
旧枚方宿・歴史街道とは、京阪電車を挟んで反対側のひらパー側にあります。

 
詳細は、下記の写真をクリックしてください。

京都・京阪三条駅近くの新柳馬場通で米屋を営んでいた建物を、今から約110年前に、旧枚方宿のはずれ(枚方公園駅の東)の現在地へ移築した古民家です。間口五半間(約11m)奥行き六間(約12m)の「二列六室」と「火袋・通り庭」からなる典型的な京町家です。
京都から淀川の舟運で運ばれ移築された建物を、木の温もりを大事にするツキデ工務店様・平成の匠の技により、温もりと心地よさを兼ね備えた現代の京町家として生まれ変わりました。

 

 母屋の他、付属の建物として、生活に使うものを仕舞う蔵。米屋として、お米や道具を仕舞う米倉・納屋。貸家・貸間として建てられた離れなど、四棟の建物が残っています。これら付属の建物で囲まれた敷地に建っているため、周囲とは違う雰囲気の空間になっています。
町家は、現代で言う店舗付き住宅ですので、本来正面は表通りに面していますが、移築後は居宅として使われたため、建物正面が敷地の奥に向いています。建物自体は、純然たる京町家ですが、敷地・建物配置は、「うなぎの寝床」とも言われる普通の京町家とは、異なります。このため、全体として開放的な印象を与えます。

 
 

敷地が、普通の京町家と異なるため母屋の三方に庭があります。町家の本来の庭:前栽(座敷正面の庭)の他、アプローチ沿い(座敷脇の庭)、玄関前の中庭(座敷から玄関を振りかえると見える庭)の三つです。座敷の三方に庭が見えるちょっと変わった配置です。
庭園史学者であり歴史的庭園の修理復元をされた森薀先生の流れを汲む庭舎 MAKIOKA門下のお弟子さん達によって、日本の野山をモデルにした古来からの日本の庭園の様式を取り入れて整備して頂きました。

 



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