建物

母屋

母屋の構成

間口五間半のうち、右手の間口三間の「厨子二階(中二階)」部分 と 左手の間口二間半の「本二階」部分 に分かれます。
江戸時代の様式である「厨子二階」部分には、大きな「火袋」・リビングがあり、明治後期に普及した様式の「本二階」部分には、一階と二階に奥の間・座敷があります。

厨子二階 ① 表

漆喰壁の「虫籠窓」をもつ半二階の「虫籠部屋」と格子が特徴の「みせの間」があります。商家である町家が通りに面する表になります。この家の格子は、頑丈な作りの「米屋格子」です。
元からある紅殻塗りの格子にあわせて、 白木の格子戸風網戸を新調してもらいました。

子二階 ② みせ庭

「米屋格子」の格子戸を開けると「供待ち」を持つ土間「みせ庭」があります。「みせ庭」は、お客さんが自由に出入りできる、表通りとつながる言わば「パブリック・スペース」でした。左手の障子を開けると商売をする店の間があります。
新調された「供待ち」では、吉野杉の一枚板をつかった贅沢な座り心地が楽しめます。

厨子二階 ③ 火袋

「みせ庭」の奥の大戸(くぐり戸)を抜けると、二階の屋根まで吹き抜けになった大空間に、太い大黒柱と差鴨居、さらに牛梁・側つなぎや側柱・束・貫という黒い木組みと白い漆喰の真壁とのコントラストで構成された力強い「火袋」があります。

子二階 ③ だいどこ と はしり庭

暗く寒かった 「だいどこ(居間)」と「はしり庭(流し と かまど)」の土間は、桜の敷台を上がると、大黒柱と昔ながらの「嫁隠し」が出迎える、居心地のよい広く暖かいリビングに生まれ変わりました。
ここには、土壁の下地を見せた下地窓現(あらわ)しで残した土壁内部の竹小舞や貫などのも見られます。

本二階 ①

商売をたたんだ「仕舞屋(しもたや)」として、使われなくなった大きな「店の間」の一部を、客人玄関に変えてありました。「奥の間」には、この客人玄関から直接入ることができます。
この「奥の間」には、贅沢な材を使った床の間・座敷が、一階と二階の両方にあります。

本二階 ② 客人玄関

平成の匠により一新された客人玄関は、分厚く重い欅(けやき)の一枚板による敷台と上がり框を持ち、格子目の大きなガラス障子で明るくなりました。

本二階 ③ 一階座敷

一階奥の座敷の縁側には、「大正ガラス」を使ったガラス障子があります。「大正ガラス」は手作りのため、現代のガラスにはない風合いがあります。

本二階 ④ 一階:座敷・仏間・客人玄関

一階は、玄関のガラス格子越しに表の庭を、縁側の「大正ガラス」越しに奥の庭「前栽」を、一度に二つの庭を見ることができる二間続きの空間です。

本二階⑤  二階座敷

二階は、客人用に設けられた座敷で、床の間・天袋の他、部屋をぐるっと囲む鴨居に長押(なげし)を打った端正な作りになっています。この座敷と隣りの二つの和室で、三間続きの空間になっています。

京町家・ひらかたの改修・再生について

平成の棟梁たるツキデ工務店社長さんのこだわり抜いた創意工夫と、平成の匠たる多くの職人さん達の素晴らしい技に加えて、一級建築士でかつJSCA名誉構造士でもある井手晃二先生に耐震補強設計を行って頂いた、歴史と伝統に現代の技と技術が融合した建物です。
町家のような伝統構法の建物を適切に評価できる耐震性能評価法(限界耐力計算法)を採用して、土壁・差鴨居といった伝統構法特有の耐震要素を生かしながら、耐震補強設計を行って頂きました。この結果、2018年6月の大阪北部地震でも大きな被害を受けることなく、地震の揺れを受け流すことができました。

平面図



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