敷地が、普通の京町家と異なるため母屋の三方に庭があります。町家の本来の庭:前栽(座敷正面の庭)の他、アプローチ沿い(座敷脇の庭)、玄関前の中庭(座敷から玄関を振りかえると見える庭)の三つです。座敷の三方に庭が見えるちょっと変わった配置です。
庭園史学者であり歴史的庭園の修理復元をされた森薀先生の流れを汲む庭舎 MAKIOKA門下のお弟子さん達によって、日本の野山をモデルにした古来からの日本の庭園の様式を取り入れて整備して頂きました。

門構え

入口

単なる敷石のアプローチだったのを、下草を配して、和んだ雰囲気に変えてもらいました。
大工さん達と違い、図面なしで現場で仕事をされる庭師さん達は、スケッチを書いてデザインをします。まさに、デザイン・スケッチですね。

数奇屋門

門の亙は、特別に小さな亙が使われています。高いところにある母屋の屋根の亙と同じような大きさに見えるようにするためです。そういう亙は、今ではなかなか手に入らないので、古い元の亙をそのまま使っています。
亙も一枚一枚手作りだった時代の意匠です。

門から見たアプローチ

元からある敷石は、雨が降った時に石の上に水がたまらないように、微妙に上に凸のカーブが付けてあります。
昔の職人さんが、こつこつ鑿でたたいて、手間を掛けて作り出した隠れた造形です。

アプローチと流れ

流れ

門をくぐった先のアプローチには、流れを作ってもらいました。雨の日は屋根に降った雨水を集め流れます。晴れた日は、つくばい風の鉢に、竹筒から水を注ぎます。

もみじ

将来、大きくなったら、アプローチの先の建物が、目立たなくなるようにと、植えて貰ったいろはもみじです。今年の夏は暑かったので、植えたばかりで根が弱いため、木がもつか心配でしたが、一部の枝の葉が落ちたぐらいで、なんとか持ちこたえたようです。

中庭

中庭(本来は、表通り)

商家の家である町家は、本来通りに面して建っています。ひらかた京町家の母家は、元は、京都の新柳の馬場通りに面して建っていましたが、ここ枚方に移築されたときに、表通りの代わりに納屋・倉との間に中庭が設けられました。

庭の改装

京の都の通りというより、山荘風のイメージで植栽を増やしてもらいました。

前栽(せんざい:奥の庭)

町家の前栽は、奥の間(座敷)に面した庭の意味で、普通は敷地の奥にあります。
ひらかた京町家の母家は、本来通りに面しているはずの表が奥にあり、奥にあるはずの前栽が、表側に配置されています。このため門を入ってすぐの左手に前栽があります。
前栽へのアプローチは、納屋・倉の土台として使われていたのべ石を活用してもらいました。

前栽と蔵

ウナギの寝床と呼ばれる京都の町家の敷地の奥には、奥の間(座敷)に面した庭・前栽と収納スペースとしての蔵があります。前栽同様、蔵は敷地の奥に建っているものですが、ひらかた京町家では、通りに面して建っています。ちなみに、蔵はお宝をしまう場所のイメージがありますが、収納スペースが殆ど無い町家にとって、季節外れの衣類や建具その他の生活用品をしまっておくスペースです。

左手奥の建物が、蔵です。

前栽の流れ(池)

ウナギの寝床と呼ばれる京都の町家の敷地の奥には、奥の間(座敷)に面した庭・前栽と収納スペースとしての蔵があります。

座敷から見た前栽

敷地の向こうにある建物が、目立たなくなるように庭の奥に木を足してもらっています。まだ小さく目立ちませんが、大きくなったら、スケッチのようになるのだと思います。

伽藍石・踏分石

写真手前の丸い石は、伽藍石(がらんいし)と呼ばれます。京都だと、廃寺になったお寺の跡も多く、大きな柱の礎石を庭石に使ったということから、この名があるようです。しかし、京都といえども、このような本物の伽藍石がそんなに沢山あるわけでもなく、写真に写っている伽藍石を含め、イミテーションが多かったようです。
この伽藍石は、踏分石(ふみわけいし)として使われています。手前の座敷・縁側から庭に降りて、灯籠に行く道筋と庭の中央に進む道筋のように、道が分かれるポイントに置かれる石のことです。
ちなみに、伽藍は、お寺の建物のこと指します。中身のない空っぽの空間や建物をがらんどう(伽藍堂)とよびますが、この言葉は、お寺の立派な建物が伽藍と呼ばれたことから、派生しています。

母屋ごしの中庭

母屋の表と裏の両側に庭があるので、建物反対側にも庭が見えるのが、ひらかた京町家の特徴です。
一階の座敷は、西側に前栽、南側にアプローチ、そして後ろを向けば、玄関越しに中庭と三方に庭が見えるちょっと変わった空間です。

ひらかた京町家が、お世話になった庭師の皆様



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