伽藍石

町家の敷地の奥にある庭=座敷(奥の間)に面した庭を、前栽(せんざい)といいます。もともとは、寝殿造りなどの庭=寝殿の前にある庭という意味で、前栽という言葉がうまれ、座敷の前にある庭という意味で、奥の庭を前栽と呼ぶようになったと言われています。ひらかた京町家の前栽には、伽藍石と呼ばれる大きな庭石が置かれています。

写真中央の大きな丸い石を、伽藍石(がらんいし)と呼びます。伽藍石は、茶庭や大きな庭園などで、廃寺となったお寺の本堂の柱の礎石を庭石として使ったもののことでした。
明治になって、江戸時代のような商家に対する規制がなくなり、すこし贅沢な庭を自分の家にも持ちたいと考えた人達が、茶庭などをまねして町家の庭にも伽藍石を置くようになりました。しかし一般の人達が争って伽藍石を自分の庭に置けるほどの数の廃寺は京都といえどもありません。したがって、明治期に作られた庭の伽藍石の多くはイミテーションであったと言われています。ひらかた京町家の伽藍石も、もし本物だとすると大仏殿クラスの礎石になりますから、イミテーションであることは確実です。
ちなみに、庭舎 MAKIOKAの牧岡先生が管理されている、奈良の依水圓には、東大寺南大門からきた本物の伽藍石が多数配置されています。
ところで、ひらかた京町家の伽藍石は、庭石の機能としては、踏み分け石と呼ばれる石になります。手前の座敷から庭へ続く踏み石が、左手の灯籠にいく踏み石と、さらに庭の奥に進む踏み石に分岐するところあります。このように踏み石の道が分かれるところにおかれた踏み石のことを、踏み分け石と呼びます。

2020年2月の花会のときの写真です。

最初の写真とこの写真は、2020年夏に撮影したものです。この伽藍石の周りの前栽は、苔に適した環境だったようで、2017年に庭を整備してもらったときに敷いてもらったハイゴケがしっかり定着しました。

この写真は、整備してもらった直後、2017年の初夏に撮影したものです。この頃の写真と見比べると現在はずいぶん色々なものが生い茂った庭になりました。



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